「日常」NPO法人かかわり教室
今回の震災ではみなさんたいへんな思いをされたことと思います。
私にとって、地震災害による被災は2回目でした。
一度目は東北沖の震災。
当時は栃木のリハセンターで勤務していました。ちょうど所用で茨城に向かっており、最初の地震発生時は栃木と茨城の県境の山の中で車を運転中でした。
運転していた車がパンクしたようにハンドルがとられ、蛇行運転のようになり、おかしいと気づきました。
前を走行中の車も同様で一旦停止をした瞬間、山の上から岩が転がってきたのですが、運良く被害なく峠を抜けられました。すぐに引き返そうとしたのですが、道中道路が割れ通行止めになっていたり、丸一日かかって職場に戻りました。
職場との連絡が電話が通じず、スタッフたち(今も一緒に働いてくれている長尾とも)とTwitterのメッセージで安否確認をとりながら、状況把握をしながらの帰社でした。
それからのしばらくは長く、過ぎ去った今ではあっという間の毎日でした。
当時の施設は2階に50名の入所、3階も医療的ケアが必要なお子さんが50名入所していましたので、毎月の避難訓練はかかさず、当然夜勤帯3名での避難訓練も織り交ぜられていました。
振り返れば、毎月の避難訓練があったからこそ、危機的状況においてもスタッフたちは的確な判断でだれも怪我せず、避難誘導できたのだと思います。
ガソリンを給油するための夜中からの並び、コンビニから食料がなくなる状況、電気もガスも水も止まる状況、どれもその時にはじめて体験したことでした。
まだ寒い時期で、ストーブをかき集め、計画停電のスケジュールを管理しながら、余震と放射能にビクビクしながら仕事していたなあと思い返しています。
その後4月に札幌に帰ってきました。
こちらに帰ってきて感じたこと。
本州では計画停電等で電気もまともに使えないなか、皆が節電をしていましたが、札幌は全く通常通りの生活。節電のセの字も感じられない暮らしぶりでした。
ショックでしたね。(勝手に)
あの苦労はなんだったのだろうと。
かかわり教室を継承してから、少しづつ災害対応をしてきました。
法律では年に数回の実施義務にしかなっていない避難訓練も毎月に変更しました。
かならず練習効果がでるからと。
なれてきたら、予告なしの避難訓練も取り入れました。
災害時のために発電機も用意し、車も電源がとれる車を選びました。
そんな毎日の中で、突如今回の地震が起こりました。
スタッフたちは、それぞれができることを自発的に動き、福祉施設としての役割を全うしてくれています。
地震当日から札幌市内各地から歩いて出勤してくれ、子どもたちの安否確認の電話には公衆電話に並び、皆でご飯を持ち寄り、一緒に乗り越えました。
子どもたちも、余震のときの避難の動きが素晴らしいです。
避難訓練での成果がこんなにもうれしく思えることがあるのかと、感動しています。
まだまだ、余震が続き「いつもの」「日常」には戻っていないかもしれませんが、少し落ち着いた今、記録として残して置こうと思いました。
長い駄文、申し訳ないです。
NPO法人かかわり教室 理事長 二峰正年
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