「ロイ・カムパネラの詩」放課後等デイサービスみのりⅡ
この詩を初めて読んだのは多分、20年以上も前のことです。
その時は、そういう受け止め方もあるのだなくらいにしか思っていませんでした。
それから、幾度となくこの詩に出会うたび、その都度味わいが異なるようになり、また、背筋が伸びるような気持ちになります。
『苦しみを超えて 大きなことを成し遂げるために力を与えて欲しいと神に求めたのに、 謙遜を学ぶように弱い者とされた。 より偉大なことができるように健康を求めたのに、 より良いことができるようにと病気を戴いた。 幸せになろうとして富を求めたのに、 賢明であるようにと貧しさを授かった。 世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、 神を求め続けるようにと弱さを授かった。 人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、 あらゆることを喜べるようにと命を授かった。 求めたものは一つとして与えられなかったが、 願いはすべて聞き届けられた。 神の意に添わぬものであるにも拘らず、 心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。 私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。』
作者は18世紀のアメリカ、南部連合の一兵士と伝えられています。
この訳は、今は亡き渡辺和子さんによるものです。
神の意図はすべてが終わった後でも分からないかもしれません。
それでもそこに何らかの意思や教えを探さずには入られないのが 人というものでしょう。
繰り返し繰り返し、問うことが、人にできることであり、この作者のように 豊かに祝福されたと言う思いにたどり着くことが唯一のゴールではないのでしょう。
答えは常に未来に対して開かれているように思います。
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