「みていてくれてありがとう。」 児童発達支援みのり

見る、視る、看る、観る、診る・・・・・・。 

みるという漢字はたくさんありますね。

漢字にするとそれぞれに違う意味を持ちます。 

児童にかかわる仕事に携わっていると、この仕事にはたくさんの「みる」力が必要であることを痛感いたします。 

なぜ突然このようなお話をするのかの理由を少し書きたいと思います。 

私は、かかわり教室で勤務する傍ら、未来の幼稚園教諭や保育士を養成する学校の非常勤講師を務めております。 

かれこれ8年目になるでしょうか。 

この春卒業して、保育士として頑張っている学生さんにメッセージカードをいただきました。

「みていてくれてありがとうございます。いろいろな視点からみてくれてありがとうございます。私も子どもたちをしっかりとみることができる保育者になりたいです。」 

それを読んだ私は感涙いたしました。 

毎年、卒業生からメッセージをいただき、その中身は「様々な知識を教えてくれてありがとう」といったメッセージはもちろん多いのですが、「相談にのってくれてありがとう。」「話を聴いてくれてありがとう。」といったメッセージもかなり多くいただきます。 

18歳以降の青年期後期と呼ばれる若者たちに幼児教育、保育、児童福祉といった勉強を介して、たくさんの人生相談を受けてきました。 

この時期は心理的モラトリアムと呼ばれる段階に入り、20歳を迎えて社会人になる前、思春期とは違う理由での激しいこころの揺れ動きがあります。

ほとんどの学生さんがアルバイトを経験して、社会人に片足をいれる時期でもあります。 

遠方から学びに来て、一人暮らしを始めて自立することの難しさを実感したり、自分自身は本当にこの仕事に向いているのだろうか?社会でどのような集団に属していけるのだろうか?人間関係が大変だ、なんでも親に相談できなくなった。

親に心配をかけたくない。

自分で答えを見つけたいから指導的なかかわりはいらない。

自分には発達のかたよりがあるかもしれない。

話すことで気持ちを整理したい。 

様々な青年期後期の若者らしい心模様をみてきました。 

そういった若者に多くの傾聴、助言をしてきました。 

それを通して想うのは、親や友達といったこころの距離が近すぎるからこそできない話を信頼できてしっかりと自分をみてくれて的確な助言や暖かい眼差しで傾聴してくれる大人の存在を若者は渇望しているのだということです。  

かかわり教室でも幼児さんや高校生の話を聴いたり、来てくれる子どもたちをみています。

そしてかかわっています。 

このかかわり教室にきてくれる子どもたちが、学校やその他の場ではなかなかできない話をすることができたり、話を聴いてもうことの心地よさを知ったり、信頼できる大人が暖かい眼差しでみてくれることを実感できる・・・・・・・。 

私は、そんな場であることを願いながら今日もかかわり教室にいる大人です。

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